• 世界が一流と認めるドイツの黄金ルールを学ぶ90日間ヨーロピアンフラワーデザインプロ養成講座メール版

プロフィール

堀江美砂子

はじめまして。

堀江美砂子と申します。

私は、ドイツの花屋で約10年働き、ドイツ職人に
与えられる資格の中でも最も上のマイスターという資格を取得しました。

現在は東京都杉並区のフラワーショップを経営しております。

花という世界で歩み始めた私の人生の道はまだ半分もきていませんが、
私が花を通してどんな気持ちで歩いてきたのか綴りました。

お時間とご興味がありましたら読んで頂けるとうれしいです。

自分が何者かわからなかった

私がまだ学生だった頃、「自分が何をしたいのか」「自分にはどんな仕事が向いているのか」
という事は全く分からなかったし、深く考えもしませんでした。

ただ漠然と思っていたことは 「男の人と同じように仕事をしたい」「結婚して子供を産んでというよくあるパターンの人生は送りたくない」と思い、証券会社に就職しました。

証券会社は実力社会。

数字さえとってくれば、女性とか男性とか関係ないと思ったからです。

実際入ると新規の顧客も売上も思うように作ることが出来ませんでした。

勉強やクラブ活動なら頑張ればある程度結果に出たのに、営業は頑張っても結果が出るとは限らずそのうち頑張ることも出来なくなり、入社してまもなく辞めてしまいました。

人は頑張れることと頑張れないことがある

会社を辞め、「お金とは関係のないものを売る仕事に就きたい」と思いました。

以前から趣味で生花やフラワーアレンジメントを習っておりましたが、どんなに嫌なことがあっても花を見ているだけで幸せな気分になりました。

ドイツフローリスト

ちょっとした縁もあり、ヨーロピアンフラワーデザインの本場、ドイツへ渡独することに決めました。

最初はマイスターになろうという大それた考えもなく、世界で一番完成度が高いと言われているドイツフローリストの世界を見てみたい。

ただそれだけでした。

ドイツへ行き、当然ながらぶつかった言葉の壁。

友達もいなく言葉も何一つ通じず、社会で自分のいる場所もない。

孤独感と悲しみで、毎週土曜日にミュンヘン空港へ行き、JALの鶴のマークを見ては泣いていました。

ドイツフローリスト学校

そんな私も、語学学校に通いドイツ語を学んだり 働く花屋を見つけたりしながら少しずつ自分の居場所を見つけていきました。

海外の生活は一見華やかで格好良く思えるかもしれませんが、実際は辛く、強さを持っていなければ耐えられないことが多いです。

生活にも慣れてきた頃、ネオナチに感化された若者に外人だという理由で、暴力を振るわれ、顔も腫れてしまったり病院へ行ったり警察へ行ったり精神的に打ちのめされた事がありました。

それ以外にもアジア人である為に『理不尽な事、日本にいたらこんな目には合わないのに』という事もたくさんありました。

ものすごい恐怖感と戦いながら、それでもドイツにいられたのは、周りの人達が助けてくれた事、恐怖感よりドイツのフラワーデザインへ惹かれる気持ちが強かった事だと思います。

語学センスがなく、言葉も、頑張っても頑張っても全然話せるようにならなくて5年ほど見習いで働いていたのでその期間は1ヶ月週6日フルで働いて3万円ほどしかもらえませんでした。

こうして並べると悲惨に思われるかもしれませんが、証券会社で働いていた時より辛かったはずなのにあまり辛さを感じませんでした。

それ程、花の世界に魅了されていたのだと思います。

フラワーアレンジメント

ドイツの花の技術は世界的にも高いのだけれど、
教育システムが素晴らしく

それは日本では受けることのできない最高の教育。

もっと上手くなりたい その気持ちが何よりも
強かったのだと思います。

何をやっても続かない私が 人には頑張れることと頑張れないことがあるようだ。

ということに気づきました。

初めて逃げたいと思った

ドイツ職人に与えられる最高職位 マイスターを取得し、帰国。

ドイツから帰国

大手生花店のウエディング・イベントチームに所属しました。

長年海外で生活していた私は久しぶりに日本人との仕事の中で価値観の違いから、馴染むことが出来ず、また窮屈な日本の社会にも適応することが出来ませんでした。

徹夜続きの余裕のない生活、ウエディングプランナーからの売上高アップのプレッシャー。

ストレスが溜まり、だんだん花を見ても綺麗だなと感じる心も、お客様の気持ちを汲み取る余裕もなく、目の前の仕事を間に合わせることで精一杯でした。

お花の仕事をして楽しいと感じる心はどこかに忘れてきてしまったようでした。

そんな時、入院中の父が余命宣告を受けました。

この仕事をしていたらお見舞いにもいけない、と思い花屋を辞めるのですが、そこから逃げ出したかった気持ちもありました。

花を創ることで見知らぬ誰かと繋がる 自分にしか出来ない事

再び証券会社に派遣社員とし、勤務した私は、今回は窓口業務だったこともあり、以前証券会社で働いていた頃より、楽に仕事ができました。

仕事が正確だったことをかわれ、社員にもしてもらいました。

しかし父が亡くなり少しして、「この仕事は私ではない他の誰かでもいいのではないか」と、考えるようになりました。

日本は花の価格がドイツより高く、センスの良いアレンジをおしゃれなお花屋さんで頼むととても高い金額を支払わなければなりません。

ドイツでは教育システムがしっかりしている為、どの花屋でもある一定レベル以上のフローリストがいてお手頃な価格でデザインされたお花を楽しんでいます。

日本人は他の国の人と比べ、心が豊かではないと兼ねてから感じていた私は、ドイツ人のように気軽にフラワーデザインの素晴らしさを楽しんで欲しい、そんな気持ちがありました。

2011年4月に『花匠美』と名づけたフラワーショップをオープンさせました。

ドイツフローリストがいる花匠美

花のチカラと匠の技で美の世界を追求し、関わる全ての人に幸せを贈りたい そんな願いをこめて。

お花をお届けしたたくさんのお客様より感謝のお言葉を頂いております。

花を創る事で見知らぬ誰かと繋がれる喜び。

証券会社ではお客様を幸せに出来なかった私だけれど、花を通してたくさんの人を幸せにすることができる。

瀬戸内寂聴さんのこんな言葉があります。

『生きるということは、自分の中にある才能の可能性を引き出し、それを育て、大輪の花を咲かせる事。
そして自分の才能の花で自分以外の他人を喜ばせる事が最高の生き方である。』

私は自分の才能は『フラワーデザイン』にあると信じています。

証券の世界では努力してもいい仕事が出来なかった私が、花の世界では正直、それほど
努力しなくても、賞を取れたり、クラスで一番になれたり、勘が働くというのでしょうか。

自分の人生は失敗も多く自慢出来るものではありません。

私の決意

しかし、離婚も含めうまくいかなかったから、今の自分がある。

上手くいっていたら今の自分はなかったと思うことがあります。

そう考えると、私がこの世に生まれてきた理由は花を創る事にあって、花の仕事をすることの邪魔になるものは全て壊れていった気がします。

胸を張ってこの仕事は私でなければ出来ない、と言えるし、花を通して感動と幸せを届ける事が今、私がここに生きている意味、使命だと感じています。

その為にはまだまだ苦しい道のりではあるけれど この言葉を胸に歩いていこうと思います。

今まで私を支えてくれたたくさんの人達、これからも応援をよろしくお願いします。

もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、
どうしたって危険な道、怖い道を歩かなければなりません。

そういう道を求めて歩くのが才能に賭ける人の心構えなのです。

ドイツフローリスト『堀江美砂子』の歩み

ドイツフローリストマイスター いけばな草月流師範

ドイツフローリストマイスター堀江美砂子

幼いころより草花に興味を持ち、卒業後いけばな、フラワーアレンジメントを習い始める。
フラワーデザインの世界に魅了されヨーロピアンフラワーデザインの本場ドイツへ渡る。

ヒルトンホテルミュンヘン内のWestermeier Blumen で見習いとして修業を始め、
Gruenberg のフローリスト養成学校を優秀な成績で卒業。

さらに現地のフラワーショップBlumen Meire 、Floraliで経験を積み、ミュンヘン領事館やジャパンフェスタ等さまざまなイベントの空間装飾で絶賛を浴びる。

その後、マイスター学校で世界的に有名なフローリストマイスターの
ペーターアスマン氏に師事。

マイスターの称号(ドイツ職人に与えられる最高職位(国家資格))を取得。

マイスターコンクールでテーマ制作部門 優勝。花束部門3位入賞等。

13年に及ぶドイツの修業を終え 帰国後大手生花店のエディング、イベントチームに所属。
ウエディングは年間100件以上を担当し大小問わずあらゆるスタイルに柔軟に対応したデザインに好評を得る。

2011年4月に独立しフラワーショップ花匠美をオープンさせる。
その他NHK学園講師、渋谷FMでヨーロピアンフラワーデザインの解説等 幅広い分野で活躍し、いけばなの伝統とドイツの斬新でシャープなフローリスト技術の融合による新たなフラワーデザインの可能性に挑戦し続けている。